さよなら、ゴロちゃん

7,8年前のことランニングに出かけた息子が、犬がついてくるといって帰ってきました。公園を通る人についていこうとするが誰も連れて帰ってくれないのでうろうろしているとのこと。いつもなら野良犬を何とかしようなどとは思わないのですが、その日は古澤巌さんのコンサートで心が洗われとても優しい気持ちになっていたので、つい探しに行って家に連れ帰ってしまいました。

パンを与えたらあっという間に食べてしまい、とりあえずは玄関の外に寝かせて、翌日警察に届け、獣医さんにも連れて行きました。元気そうですが何日も食べていない飢餓状態だったようです。警察では1週間くらいは預かるが、飼い主が見つからなければ処分されることになるといわれ、それは忍びなくて結局飼うことになりました。名前はゴロちゃん。しばらくきちんとご飯を与えて体調が回復すると野良生活の間に体に住み着いた害虫たちも悪さをはじめ、お医者さん通いが続きました。頭にあった小さな傷は石でも投げられたのかと思っていたら、どんどん大きな腫瘍になり切除手術を受けることになりました。

そうやって手のかかる子でしたが、性格はおとなしくて優しく、朝一緒に出勤して昼間は事務所で過ごし夜は一緒に帰るという生活が何年か続きました。スタッフからもお客さんからも可愛がられ、私が夜一人で仕事をしていると必ず足元にすり寄ってきました。夏には弱いパグ、そのうちに夏になるとハアハアと息を荒げ苦しそうな様子を見せるようになりました。「心臓が弱っているから、いつ死んでもおかしくない、お客さんを見て喜んで興奮することも心臓にはよくない」とお医者さんには言われましたが、寂しがるので一人で置いておくこともできません。クーラーや氷枕、酸素などいろいろ工夫しながらひと夏、自宅と事務所の行き来もしんどいので事務所で寝泊まりさせてまたひと夏、いつ死んでもおかしくないといわれてから4年目の今年の夏も無事過ぎたのに、昨日とうとう天国に行ってしまいました。

母が寝る前に戸締りを確認しようとしたら様子がおかしく、私たちが駆け付けた時にはもう息を引き取っていました。タオルにくるんで箱に入れてやりみんなでお花を添えました。大好きだったヤマト運輸のお姉さんもお別れに来てくれました。

あの時に飼う決心をしなければあのまま処分されていたかもしれないゴロちゃん、幸せな数年間を過ごされてやれたので、そんなに悲しいという思いはありません。でも事務所でおやつをくれとみんなに付きまとったり、お客様が来られれば「誰?」とお顔を見に出てきたり、鞄があればそのうえにのっかったり、あんなに邪魔だったのに邪魔する子がいないのです。

古澤さんのコンサートの日にうちにやってきたゴロちゃん、お葬式の日も古澤さんのコンサートでした。アンコールは「星に願いを」星になったのですね、さよならゴロちゃん。

マイナンバーについて

 平成28年1月からマイナンバー制度(社会保障・税番号制度)の運用が開始されます。

 対応に頭を悩まされている方も多いと思いますが、とりあえず私からお客様にお願いしたいことを

まとめました。なお、制度の開始は平成28年からですから、

27年の年末調整は基本的に従来通りとなります。

1.個人番号カードの取得について

 マイナンバーが通知されましたら、従業員の皆さまには個人番号カードの申請をしていただくことを

お勧めします。個人番号カードは個人番号が記載された顔写真付きのカードで、

本人確認書類として利用できます。

ただし紛失等のリスクがありますので、ご本人が責任を持って保管していただくことが必要です。

2.従業員さんの本人確認について

   従業員さんから個人番号を会社に提出していただく際には、本人確認が必要となります。

本人確認は私どもの税理士事務所では行いませんので、必ず会社で行ってください。

個人番号及び本人確認書類は厳重に保管し、法定保存期間(7年)を過ぎましたら確実に廃棄してください。

3.扶養親族の本人確認について

   扶養親族についても個人番号が必要ですが、扶養家族の本人確認は従業員さんご自身で

 行っていただくため、会社での確認は必要ありません。

 (社会保険の手続き等で、扶養親族に代わって申請を会社が行うときには、会社が本人確認を

  しなければならないこともあります。具体的には社会保険労務士さんの指示に従ってください。)

4.報酬の支払いについて

   マイナンバーは従業員さんへの給料だけでなく、税理士報酬等、

 支払調書の提出の必要な報酬(年間5万円以上)の支払時にも取得する必要がありますので、

 お忘れないようお願いいたします。

5.税理士の代理業務について

   税理士が税務申告書・法定調書などを提出する際には代理権確認書類として

 ①代理権限証書、②税理士の身元確認書類、③納税者の個人番号確認書類

 を提出する必要があります。電子申告の場合は、これらの書類が電子申請で行えますので、

 できる限り電子申告の利用をお願いいたします。

七夕コンサート

合唱の練習会場に使わせていただいているさをり会館の七夕パーティに

合唱団で参加させていただきました。

ベストやスカーフなど、各自がさをり織りの好きな衣装をお借りしての出演。

七夕、みかんの花咲く丘、そしてポップス曲など、皆さんの知っていらっしゃる歌を中心に歌いました。

練習に使うのは時間外のため、スタッフの方と顔を合わせることはあっても

利用者さんとの交流は初めてで、少し緊張しつつ歌い始めたら

一緒に口ずさんでいただいて、それで気持ちがほぐれました。

とっても楽しんで聞いていただき、

最後の「世界に一つだけの花」は一緒に踊ったり手話で歌ってくださったり、大いに盛り上がりました。

癒され励まされたのは私たちの方でした。

女性会長にエール

母校のサークルのOB会に参加してきた。

会計学研究会と言う学術サークルは、圧倒的に男子部員が多いのだが、

何と今年は女子学生が会長になったという。

(それが話題になることような、いまだに男子の多いサークルなのだ)

頑張っている現役女子学生に向けてOGからエールを送るパネルディスカッションに参加した。

歴史の古いわがサークルのOB会ではまだまだ若輩者の私・・だったはずなのに

いつの間にかOGの中では最長老の部類になっていたらしい。

私が就職したとき、事務所で初めての女性採用だった。

同じくパネラーをした卒業3年目の女の子は、その会社で女性総合職初めての工場配属になったという。

私が男性社会で30年前に感じていたようなことを、その女の子も男性の多い職場で感じている。

女性が働く環境は確実に変わってきたけれど、まだまだ変わらないことも多い。

でも3年目に入り仕事が楽しくて仕方がないというその女の子はとても頼もしかった。

「どうやって壁を乗り越えてきましたか」という問いかけに対して、

私を含め50代の3人は「壁なんてあったかな」。

確かに大変なこともあったけれど、それは壁を乗り越えるなんてかっこいいものではなく、

その日その日を何とかやりくりしてきたような気がする。

現役の学生にどれだけ伝わったかわからないけれど、

参加したパネラー同士、とても共感できる有意義な会だった。
そのあとは懇親会、最後はお決まりのカレッジソング。

歌う前の口上は現役会長の役割だが、若い女の子が堂々と口上を述べる姿にうるっときた。

展望台から

ハネムーンに出発する長男を送りに行ってきました。

夫と行こうとしたら次男が僕が運転すると言ってくれて3人で待機。

7時半に迎えに来てというので10分前から待っているのにやってきたのは待ち合わせの10分後くらい。

「実は昨日の夜に機内でするゲームを買いに行って寝過ごして」とお嫁さんは呆れ顔でした。

「ごめんね、この1週間で結婚したこと何回後悔した?」と聞いたら

「今のところ一回もないです」と、いいお嫁さんです。
搭乗を見送った後は展望塔で飛行機が離陸するまで見送りました。
30数年前、私たちの新婚旅行もそれぞれの両親が見送りに来てくれました。

派手なレイを買ってきて首にかけてくれて、とっても恥ずかしかったことを思い出しました。

また何十年か後、孫の新婚旅行をこの二人が見送ることがあるだろうか、

その時に今日のことを思い出してくれるかな、

それまで健康で平和で幸せでいてくれたらいいなと思いながら、飛行機に手を振りました。

幸せの一針

先日長男が結婚しました。

暖かいご祝辞をくださった上司の方や素晴らしいお友達のおかげで笑顔いっぱいの結婚式になりました。
会社の同僚の方たちが休日に動画の撮影をしてくださったり、二次会の準備をしてくださったり、

また大学時代のお友達も休日に集まって余興(懐かしいひげダンス!)の練習をしてくださったり、

本当にありがたいことでした。
息子がしみじみと「結婚式なんて二人だけじゃ何にもできひん、みんなが手伝ってくれてこそできる」と申しておりました。...
それがわかるようになっただけでもちょっとは成長したのかな。

私は頼まれもしないのにせっせとウェディングベアを作っていました。

以前うちの事務所にいた女の子が結婚するときにお母さんが作っていらっしゃったと聞いて

私もいつかと思っていたのです。

いろいろなことを思い出しながら一針、一針縫っていくのは本当に幸せな時間でした。

昔の母親なら、きっと着物を縫ってやっていたのでしょうね。

もう一つ、息子がサプライズ企画で用意したプロポーズまでの再現ビデオに、私は私自身の役で出演しました。散らかり放題の我が家に息子の同僚が来てくださり、わいわい言いながらの撮影はまるで学園祭のようで

とっても楽しませていただきました。このビデオ、なかなか好評で皆様からお褒めいただきました。

後日息子が出席してくださった上司の方に聞いたところによると、

披露宴のお客様が息子の同僚のことを

「〇〇会社の社員はいいな」と褒めておられたのをお聞きになって喜んでおられたとのこと。

それもとっても嬉しいことでした。

世界でい一番美しい島

世界で一番美しい島に行ってきました10代のころからの愛読書「赤毛のアン」の舞台であるプリンスエドワード島です。朝の連続ドラマで取り上げられたおかげで、今年はツアーの企画も多く、40年来の願いが叶いました。

「世界で一番美しいところ」とアンが小説の中で言ったとおり、赤土の畑と緑のジャガイモ畑がパッチワークのように並び、その間を川がゆったりと流れ、湖がきらめき、いたるところ野の花が咲き乱れている、本当に美しい田園風景でした。朝ドラのオープニングにも出てくるグリーンゲイブルズや銀の森屋敷、お化けの森、恋人たちの小径など、赤毛のアンを読んだ人ならどんなところだろうと想像をめぐらす場所にも行くことができました。

途中でアンがいた頃の学校や村の雑貨屋さんなどを再現した歴史村を訪れました。そこに飾られていたのが熊の皮の手袋。「雪ソリを引くときに使ったものだが、プリンスエドワード島では千八百何年だかに最後の熊の一頭が撃ち殺され、今では熊やヌーといった大型動物はまったくいない」と説明がありました。

熊の住む森が広がり、先住民たちが豊かに暮らしていた島は、ヨーロッパ人によって「発見」されることによって、開拓され美味しいジャガイモの産地に生まれ変わりました。私が美しい自然であふれている、と思った風景はすべて人間がつくりかえた風景だったのです。もちろんそれを否定することはできません。そうやって人間は生きてきたのですから。でも日本は高い山があるおかげでまだ手つかずの自然が残っているし、熊だって生きている。その自然を守らなくてはと思ったカナダ旅行でした。

初春文楽公演

初春文楽公演を見に行ってきました。数年前に一度見て、ぜひ機会があればもう一度と思っていたのですが

待っていてもそんな機会はやってこないのでチケットを取って見に行ってきました。

最初の演目は面売り。

お面売りの娘が次々にお面をかぶりながら歌い、踊ります。後ろを向いてお尻をふりふり、可愛らしく楽しいです。

堀川猿回しの段。人を殺してしまった恋人と心中しようとする娘を母と兄が必死にとめます。

無理に書かせた離縁状、でもその中身は恋人を思う娘の真心にあふれ、母と兄はその心を知って二人を送り出します。
なんとしても逃げおおせて生き延びてくれと願いながら。
兄は二人へのはなむけに演じる滑稽な猿回し。笑いながら、泣きそうになりました。

最後は阿古屋琴責めの段。

恋人の行方を隠しているだろうと拷問を受ける遊女のお話。
その拷問とは、体を痛めつけるのではなく、
琴をひかせ、三味線をひかせ、胡弓をひかせるというものです。
恋人を慕う遊女の気持ちが音楽に表れます。
その音を聞いて代官は遊女が真実を語っていると知ります。
その演奏がすばらしく、確かに舞台横で人が演奏しているのですが
本当に人形が演奏しているように見え、聞こえてくるのです。
そして人形だからこそ、素直にその心情が伝わってくるような気がしました。

人間よりも人間らしい人形たち。
帰りには可愛いかむろが手を振って見送ってくれました。         2014/01/21

新年にあたって

あけましておめでとうございます。

今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

昨年は我が家にとって大きな転機となる年でした。

次男と長女がそろって大学を卒業し、子どもたち全員が社会人となりました。

娘は6月に東京で就職、家さがしに引っ越しと落ち着く暇もない時期を過ごしました。

一段落したところで、長男が独立することとなり、にぎやかだった我が家は3人家族になってしまいました。

3か所に分かれた家族が行ったり来たりすることで、むしろお互いを思う気持ちは深くなったような気がします。

残るは次男ですが、だんだん老いていく私たちが次男を縛り付けないよう、

早めに追い出し作戦を考えようと思います。

年末には、思い切って日本武道館のカウントダウンコンサートに行ってきました。

子どもたちが幼く夫の両親も存命だったころは、行ってみたいと思っても

とても年末に家を空けることはできませんでしたが

学生時代の友人も子供さんが成長して自由な身となり、思い切って二人で出かけました。

何千人の観客と一緒に声を合わせてカウントダウンし、迎えた新年。

考えてみれば、彼女も私もこの年齢になるまで大晦日の夜の街に出かけたことも

家族以外の人と年明けを一緒に過ごしたこともなかったのでした。

こういう時を共に過ごせる友を持ち、そして安心して出かけられる家族を持っていることの

幸せをしみじみとかみしめたのでした。

東京へ向かう新幹線で窓側(海側)に席を取り、ふと窓の外を見ると進行方向に行きをかぶった高い山が見えました。

富士山が見えるのは逆の方向のはず。友人が「幻を見たんじゃないの?」と言いつつも調べてくれたところでは

新幹線の海側の席から数秒間富士山が見える場所があり、「幸せの富士山」と呼ぶのだそうです。

まさに昨年1年間を象徴するような富士山でした。

今年は、この幸せを誰かに何かの形でお返しできるように、そんなことを考えていきたいと思っています

加藤登紀子さん

加藤登紀子さんのランチ・コンサートに行ってきました。

以前から行きたいと思いながら、コンサート3回分くらいのお値段なのでなかなか・・・今年は結婚30周年なので思い切って夫と一緒に。

京都のレストランキエフ、ここは学生時代に試験に合格したお祝いにと、先輩に連れてきていただいた思い出のレストランでもあります。

同じテーブルにもご夫婦が来られていて、好きな音楽の話などをしながらコンサートが始まるのを待ちました。

食事の後は別室に移ってコンサートが始まりました。1曲目が「時には昔の話を」。

登紀子さん、ルール違反ですと思いました。

生まれてから学生時代までを過ごした京都の街で、しかも思い出のレストランでこの歌を聴くと

いろいろな思い出が一度に蘇ってきてもう最初から涙・涙でした。

コンサートの中盤では百万本のバラ。この歌の本当の意味を話したいからと。

この歌が最も流行していたのはチェルノブイリの事故があった年だそうです。

チェルノブイリの原発から一番近い町で当時行われた結婚式では必ずこの歌が歌われていた

その町、そしてその周囲の町も事故の後全員が避難させられ、町の暮らしは消えてしまったこと

そのことを歌った「神隠しされた街」

飯館村で完成したという「命結」と村人が避難をする前に村で行われたコンサートのお話

津波でお父さんを亡くした少年の日記をもとに作られた歌

どれも涙がこぼれてならない歌ばかりでした。

登紀子さんも歌いながら思わす声を詰まらせておられました。

コンサートが終わりに近づいて「リクエストは?」との声に思い切って

学生時代にロシア語講座で登紀子さんが歌っておられた歌をリクエストしましたが

残念ながら「覚えていないわ」。でもロシア語でカチューシャ歌ってくださいました。

コンサート後のサイン会で

「学生時代には登紀子さんがおばさんに見えたんです。でもそれからどんどんおきれいになられて

今の方があの頃よりずっとおきれいで、だから私の憧れなんです」と申し上げたら

「あなた、私に似てるみたい」と言ってくださって、とても光栄でした。

岩城拓也テノールリサイタル

岩城拓也テノールリサイタルを開催します。

川西市みつなかホール

8月31日(土)午後3時開演です。

魅惑のテノールで夏の暑さを吹き飛ばしましょう。

岩城先生との出会いは10年前の1万人の第九。

レッスンの担当が岩城先生でした。

結婚20周年の記念に一度だけのつもりで夫と一緒に参加した第九

岩城先生のレッスンがあまりに楽しくて、それから毎年参加することになりました。

抽選で外れた年もありましたが、夫も私も第九だけでは飽き足らずそれぞれに合唱団に入り

ついには岩城先生の指導される岩城合唱団にまで参加しています。

今年結婚30周年が無事迎えられたのも合唱のおかげかもしれません。

素人相手に我慢強く丁寧に教えてくださる岩城先生の誠実なご指導は

私自身の仕事にとってお客様に誠実であらねばならないという鏡のようなものです。

たくさんの合唱団、オペラ合唱のご指導にお忙しい先生の歌声を聴くチャンスは

あまりありません。素敵な演奏会になるよう、精いっぱいお手伝いをしようと思います。

 A4チラシ_0516.pdf

伊勢参り

夏の暑い盛りに伊勢神宮にお参りをしてきました。

式年遷宮の奉祝コンサート 藤井フミヤ君のチケットが当たったので、妹と二人で行ってきました。

伊勢神宮は紀伊半島一周ハイキングの最終目的地で23年にも妹とお参りをしています。

その時にはまだ新しい社殿は建っていませんでしたが

今回はまだ囲いに覆われてすべては見えないものの、古い社殿の横に新しい社殿が建っています。

そっくり同じ形で、白木の真っ新の社殿とすっかり古びて落ち着いた色合いの社殿

その両方を見られるのは20年に一度のこの時だけなのです。

1300年の昔から20年ごとに全く同じ建物を建て続けてきたという歴史。

それは1300年前にすでに完璧な社殿が出来上がっていたということでもあるのですね。

遷宮が終わったら一般の人は決して立ち入ることのできない社殿

祭事で見る機会を得たフミヤ君は本当に美しい建物で感激したと語っていました。

ハワイ旅行

先週の週末より82歳の母と妹と娘の4人でハワイに行ってきました。

ハワイなんて好きな方は毎年ほど行っておられるのでしょうが、私は初めて。

母に海外旅行でもする?と冗談で言ったら、「ハワイなら行きたい」というので妹が計画をしてくれました。

本当に行けるの?もっと近いところにしない?とそれとなく計画変更を持ちかけても、「ハワイなら」。

母にとっては、一生に一度は行ってみたい憧れの土地だったのでしょう。

それなのに!きょう出発という日の朝、母や押し入れの上のハンドバッグを取ろうとして

不安定な丸椅子に乗り(一言取ってと言えばいいのに!)、案の定落ちて、肩とわき腹と足を強打したのです。

お医者さんに行こうと言っても、母は大したことないの一点張り。

本人がそういうのですから、そのまま出発しました。痛みはどんどんひどくなって、

飛行機の中でもほとんど眠れなかったようですが、自業自得というものです。

着いた日はディナークルーズ。

陽気なスタッフさんに「ママ、オイシイ?」「ママ、アリガト」と声をかけてもらった母はすっかり調子に乗り

「また来年くるわね」(誰がついてくるの!)。

翌日はリムジンでの島内一日観光でした。いくら美しい景色でここが写真スポットだよと言われてもそれだけでは・・・

ただ、母にとってはパールハーバーには特別な思いがあるようでした。

そして?それだけ。車で観光するだけでも母は疲れてしまい、

そのあとはホテルの周辺をぶらぶらするだけで終わってしまいました。

それならのんびりできたのかというと、母を朝・昼・夕の食事に連れ出すだけでも大仕事でした。

せっかく仕事を休んで付き合ってくれたのに、娘は若い子が楽しむようなことは何もできず、可哀そうなことをしました。

かなり無理なこんな旅行にこだわったのは、父との苦い思い出があるからです。

父は17年前に亡くなりました。

まだ60代だった父は現役で仕事をしていましたし、一方妹も私も母を頼っての子育て真っ最中で、本人も家族も

父の不調になかなか気づかなかったのです。

診察を受けた時にはもう1年持つかどうかと言われました。

放射線治療も一時しのぎに過ぎず、父はどんどん衰えていきました。

全く笑うことのなくなった父に、一日でも孫たちに囲まれて楽しいと思える日を過ごしてほしくて、

妹と私は一泊旅行を計画しました。

車いすで行けて父の体に負担のかからないところを探し、父をさそうと、父は行かないと言います。

体のことが不安なのかと「大丈夫だから」といくら言ってもうんと言いません。

そして「病気の時に旅行なんて行きたくない。治ってから行ったらいい」。

治ると信じている父に「お父さんの命はもう長くないし、これからどんどん体が不自由になるんだから、今のうちに行こうよ」

とはとても言えず、旅行は取りやめになりました。

こんなことがあったので、一人になった母とは、元気な間にたくさん思い出を作っておこうと、

できる限り家族で旅行したりご飯を食べたりするようにしています。

こんなに長生きしてハワイまで行くとは思ってもみなかったけれど

一緒にいけてよかったです。

補助金

3月決算法人の申告が一段落しました。久しぶりのコーヒータイムです。

ある顧問先が少し前に会計ソフトを変更すると言ってこられました。

私は一応会計の専門家ですから、「その会計ソフトはわかりません」なんてことは言えません。

お客さんがそれがいいというなら、それに合わせて仕事をするのが当然と思っています。

(でも自分の使い慣れたソフトが一番効率的であるのも当然のことです)

ソフトを変更する理由は「〇年間は無料で使えて、無料で指導もしてもらえるから」とのことでした。

「では、有料の私の指導はいらないってことですね」なんて大人げないことは言いませんが

無料より高いものはないと思っているので、本当にそれが使いやすいいいソフトなのか、

私としては半信半疑、というより9割がた疑ってかかったのですが

顧問先は「よいソフトでなかったら、無料の期間が終わったらまたほかのソフトに変えればいいんだから」と

すっかり乗り気になってしまっておられたのでした。

導入の手間、慣れるまでの期間、データの比較性など考えると、ソフトなんてそんなにころころ変えていいはずがないんですけどねえ。

そしてそのソフトが導入されて、入力作業は進まないまま。一度顧問先に訪問した際に、

そのソフトを紹介した業者さんに来てもらいましたが、なかなか話がかみ合いませんでした。

かみ合わなかった理由もあとでなんとなくわかりました。

そしてしばらくして、無料で数年間使えるはずのそのソフトを買いましたと連絡がありました。

今買ったら、全額補助金がおりるといわれたので、と言うのがその理由でした。

要するに、・・・・そういうことだったのね、と何が起こっていたかが見えたような気がしました。

(あんまり生々しくて書けませんが)

今年初めて相談に見えたお客様が使っているというソフトも、同じ会計ソフトでした。

「このソフトでもいいでしょうか?」「それでご自分が使いやすいならいいですよ」

「実はややこしくて、私は使えるんですけど、担当者が変わった時には引き継ぐ自信がないので

やっぱりもっと汎用のソフトに変えようかと思っています」

別にその会計ソフトが悪いわけではないのです。法人によってはとても便利に使えると思います。

でも法人の規模や業種によって適するか適さないかは違うし

それを一番よくわかっているのは、セールスとやってきた業者ではなく、

その法人の決算にかかわっている税理士や会計士だと思うのです。

税理士や会計士の意見をもっと尊重しろとは言いませんが

一番残念に思うのは、補助金が出る=無料=使わなきゃ損 みたいな考え方。

いったいこの会計ソフトの普及にどれだけの補助金が使われたのでしょうか?

補助金は税金からまかなわれているのですから、無駄な補助金をもらったら

もっと大事なことに使われるはずだった税金を無駄に使っていることになるのです。

補助金で事業をしている事業者さんたちは、もっとシビアに使い道を考えてほしい

もらったら得なんじゃなくて、余分な補助をもらったら、まわりまわって自分の首を絞めている

ことに気が付いてほしいと思います。

なんて、3月決算で疲れて、ちょっと機嫌が悪くなっている私です。

卒業

次男と娘が大学を卒業しました。

娘の入学式の時に、「在学中に困ったことがあったら大学に相談に来い。絶対に何とかしてやる」とおっしゃった理事長が

「これから社会に出て生きていくことに絶望することもあるだろう。そんな社会を作った責任は私たちにある。

絶望したらこの大学のことを思い出してほしい。大学は君らのためにある。いつでも戻ってこい」と繰り返しおっしゃいました。

暖かい理事長の言葉にただただ涙があふれました。

晴れ着に身を包んだ娘たちの美しいこと、そばでその姿を見ているだけで幸せでした。

就職で苦労した次男は、友人たちより1年遅れての卒業、友達もいないさびしい卒業式でした。

ゼミの先生が卒業祝いにと食事に連れて行ってくださったと嬉しそうに帰ってきました。

二人ともいい先生に恵まれました。

これで子育てが終わるのかと思うと少し寂しい気がします。

一昨年の暮れに大学時代の恩師が亡くなりました。お葬式にも先月行われた追悼会にも出席することができず

先生にお別れをすることも優しかった奥様にお悔やみを言うこともできないのがずっと気がかりでした。

追悼会のご案内をくださった先輩に奥様のご連絡先を尋ねたところ早速にお返事をくださいましたが

いざとなるとなかなか筆が進みません。2月になって、ふと先生はあまりお酒を召し上がらなかったことを思い出し

バレンタインのチョコレートを添えて手紙をお送りしました。

奥様から、先生がお好きだったチョコレートを手紙と共にお写真にお供えしてくださったこと

子育てを終えてこれからはあなた自身のための人生を再出発しなさいと

とても心のこもったお返事をいただき、思わず涙がこぼれました。

先生は学生の私にはちょっと近づきがたい立派な先生でした。

とても穏やかで優しかったけれど決して甘い先生ではありませんでした。

大人になるにつれて、先生の言葉の本当の優しさがわかってくるような先生でした。

もっとお訪ねしたり、チョコレートくらいいつでもお送りする機会はあったのに

どうしてご生前にそうしておかなかったのかと悔やまれます。   

バレンタイン、自分の気持ちを伝える日にしたいと思います。                2013/02/14

昨年秋のことです。風邪気味で咳が長引きそうだったので早めに耳鼻科を受診しました。

「前からのどの動きが悪いな。声帯がほとんど動いていないよ。精密検査受けてごらん」

・・・だって声も出てるし何ともないしめんどくさいな、と思いつつも予約を取ってくださったので

しぶしぶ病院へ。問診票をわたされても書くことは何もありません。

病院のお医者様も「別に何ともないですが」と言いつつ、のどに手を当てるなり「しこりがありますね、でも良性でしょう」。

しかし検査をしていただいたら甲状腺がんの疑いとの結果が出ました。

同世代にもがんにかかった友人が何人かいます。もうそういう年頃になってきたということでしょう。

年明け早々に手術を受けることになりました。

病院の先生に病気の内容と治療法について丁寧に説明をしていただいたので不安は全く感じませんでした。

むしろ神さまが下さった休暇と思って、本とCDをたくさん持って病院に行きました。

手術後苦しかったのは1日くらい、体もどんどん回復して、1週間後には無事退院することができました。

入院中は看護士さんたちにお世話をしてもらえるのが嬉しく、また病室に来てくれる子供たちに何より癒されました。

退院後、最初に受診した耳鼻科の先生にご報告とお礼に行くと、

「いや、これでがんを見つける病院の先生がすごい」とびっくりされていましたが

お二人の素晴らしいお医者さんに巡り合えたのは本当にありがたいことでした。

それともう一つありがたいのが「がん保険」。

なかには保険料がもったいないので解約しようと考えたものもあったのですが

いい保険だからと引き止められて掛け続けていたのもあります。

私の場合は入院期間も短かったので医療費は最小限しかかかっていないのですが

いろいろな給付があるのはありがたいことです。

保険会社によっては早期発見の場合には保障されない場合もあるとのことなので

そういったことはお客様にもお伝えしたいなと思いました。

そうそう、1週間の入院で体重も少しだけ減りました。

食事がおいしいと評判の病院だったのですが、量が少し物足りない。

普段いかにカロリーオーバーだったかを思い知らされました。

食生活も見直していかないといけませんね。

でも退院からそろそろ1か月、元に戻ろうとする体重に必死で抵抗しています。

今年も終わろうとしています。この1年心配の種だったことが一つ片付きいいお正月が迎えられそうです。

ちょうど1年前、大学4回生だった次男の就職が決まらないままに年を越し

就職状況の厳しい中、次男は卒業するのか留年して就職活動を続けるか迷っていました。

結局本人の決断で留年することになったのですが、4月になっても夏になっても

一向に決まらないままに時間だけが過ぎていきました。

本人なりに頑張っていることはわかっていても親の目から見るとまだまだ甘い

ついあれこれと口出しをしてしまいました。

親だけでは客観的に見られないので私の友人に相談してみたり

親以上に親身になって息子の相談に乗ってくれる友人もあり

本当にいろいろな方のお世話になりました。

でも息子にとっては大人の助言よりも自分の友人からの言葉が何より救いになったようです。

と言うものの決まらないままに時間が過ぎ、どうしようかと真剣に考え始めた矢先

ようやく年末にある会社から内定をいただきました。

沈みがちだった息子にもようやく明るい顔になりました。

でもこれがゴールではなくスタート、実社会での仕事は学生の就職活動より厳しいと思いますが

たくさんの方に助けてもらったことを忘れずに頑張ってくれたらと思います。

たくさんの感謝を胸に新年を迎えます。

                                            2012/12/31

スポーツはほとんどしないが観戦するのは嫌いではない。

でも絶叫するアナウンサーが嫌い、大騒ぎするサポーターが嫌い。

だからオリンピックなんか見ているとだんだんつまらなくなってくることが多い。

どうしてだろうと考えて見たら、体育が苦手だった小さなころの思い出がよみがえってくる。

たとえばドッジボール。ボールを受けるのも投げるのも苦手だから逃げるのが専門。

子供ってボールばかり見ているから、ボールの行方とみんなの視線を確かめながら

死角になるところにいると結構アウトにならずに逃げていられる。

なのに一度もボールに触っていない私をかわいそうに思って

「ボールあげる、投げてみ」と言ってボールをくれるおせっかいさんがいる。

ボールを投げたって味方のところまでは絶対届かないので「いらない」と言うのに

「いいから、いいから」と無理やり押し付けてくる。

そしてボールを取られると「なんで?せっかくあげたのに。もうあげへんからな」と怒られる。

「だからいらんてゆうたやろ」なんて言い返す勇気はないがあやまる気もないから無視。

たとえばバレーボール。ゆるいボールがまっすぐ私のところに飛んでくるならレシーブできるが

上から飛んでくるボールの行方を見定めてその場所に行って態勢を整えて受けるなんて芸当はできない。

「みんなでカバーするからね」とまっすぐ私の方へ飛んでくるボールをカバーしに来てぶつかり

きついボールをカバーしてくれるかと邪魔しないようによけると誰もとれずに「ちゃんと取って」と言われる。

「できもしないのにカバーするなんて言うな」とは言い返せないのでまた無視。

少し勉強ができたからよかったけど、そうでなければいじめられていたかもと思う。

学生時代の体育の時間は、スポーツが嫌というよりこんな友人とのやり取りが嫌で嫌でたまらなかった。

みんな決していじわるではなく優しい気持ちで言ってくれるのだけれど

勝負がかかるとその気持ちが変わってしまうのだ。

ひたすら自分との戦いに没頭しているスポーツ選手の姿は清々しい。

だけど他人の勝負に興奮している人の姿は興ざめ。

そろそろオリンピックも終わるかな。